昨日、我々の研究室が大学院修士課程1年生の講義の一環として、「感性情報処理入門」と題しまして発表したわけですが…この発表内容を練る課程で色々議論があったわけです。
我々が所属している研究室の教授が興味を持っている物として、感性情報処理があり、また発表者の割合が、感性情報処理グループが多いということで、感性情報処理を発表することになったわけです。正直に書きますと、学部4年生のときには、感性って何か?について、漠然とした、かつ勝手なイメージしかなく、何となく目標を立て、研究をしていたのです。全てがあやふやなまま、そして興味本位に動いていました。それが許されており、放置されている感が有りつつも、有り難い自由だと感じていました。
それが許されていたのは学部4年生までであり、修士課程1年生となった今ではそれが許されないということが、以前助教授に断言されており、最近の助教授の接し方を見てもそれは明らかです。
あやふやなままではいけない、というのは、私の感性に対する解釈においてもそうなのですが、プレゼンテーションの構成もそうです。結局の所、相手に理解してもらえなければ、作って発表する意味がないのですから。
このプレゼンテーションや、言葉の意味、研究を行う意義について、熱く解いてくれるメンバーが私たちの研究室にはいるのです。彼の言っていることは、おそらく正しいのですが、言い方や、研究スタイルに問題があるのです。
研究スタイルの話を先にしますと、まずきちんと研究しているのかが疑問です。別のプロジェクトには意欲的に参加しているようなのですが、いかんせん研究室に出てきて研究しているイメージがなく、卒業研究も微妙なまま終了しています。そして現在の研究テーマもどうなんだろう、という感じです。そして物の言い方ですが…基本的に相手を苛立たせるような言い方です。友達曰く、俺は慣れているから別に何とも思わない、ということなのですが、議論の際には相手をバカにするような、そしてあまりにもストレートすぎる言い方なのです。間違っているということを間違っているといって何が悪い、という理論です。それを言って、相手が傷ついたり、気分を害しても良いのか?という話です。話し相手が機械じゃないわけですから、少しくらいはオブラートに言っても良いというのが私の考えです。相手は感情を持った人間なのですから。もしも、確実にストレートに言うことで、良い議論となるならば、それで良いでしょう。しかし、相手が気を悪くしてしまうならば、それは単に相手を言い負かして、議論を自分の理論で押しつけて突き通す。結局は力業でしかない。言いたい放題言っている、自分勝手な人でしかないように思います。
これは私以外にも感じている人がいるわけです。私はおそらく、人よりも気にしぃなところがあるから、上記のようなことを書く、ということもありますが。
助教授が、議論の際には相手をうち負かすことじゃなく、味方に付けるような議論をしなさい、と言った意味が、上記の彼の姿を反面教師として見る、ということで理解できるような気がしました。
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