Wednesday, May 10, 2006

Language::Japanese - 外国人が使うモダリティ

うちの研究室の、とある留学生の方の話を聞くと、どうも日本語のモダリティの扱いが分かりづらい様子です。「~かもしれない」だとか「~ですよね」だとかです。「~ですよね」なんかは、自分の意見に自身がないときの確認の意味や、相手に同意を求める意味など、激しく微妙なニュアンスを含みます。私たちがその意味を区別するのは、イントネーションや話の流れなどからです。

このモダリティを、私たちは特に意識せずに、不安な気持ちの時は自然と不安な気持ちを表現するモダリティを使っています。そして、私たちは特に意識せずにそのモダリティの微妙なニュアンスを理解し、発話内容を解釈します。

詰まるところ、モダリティが示す意味の違い、イントネーションの違いだけで意志の伝わり易さは変化します。ここで留学生の方の話に戻しますと、彼らはモダリティが上手く扱えずにいます。それ故、あちらの意図がこちらに伝わらず、コミュニケーションを取りづらくしている現状があります。最近のことですが、「~ですよね?」とネイティブなら聞くところ、「~です」と断定口調であちらが話されて、私はその後にまだ話が続くものだと思い、相づちの意味で頷いてしまいました。あちらは自分の考えが合っているのかを確かめたかったのですが、私の返答は単なる相づち。あちらが突如、納得の表情をしたので、私は一瞬何で、何を納得したのかが理解できませんでした。これはモダリティ以前に、質問をするときに「~です」という事自体おかしな文体なのですが、せめて語尾上がりにしてもらえれば、質問しているのだということがこちらも理解できます。

どうも、何かと「~です」でセリフを絞めてしまう方が多いため、その「です」は本当は、一体何を意図しているのかを考える癖が付いてしまっています。逆に言えば、何でもかんでも「です」で絞められても、もういいですよという若干諦めといいますか、気に留めないようになっています。

外国語を日本語にトランスレートするときに、どういった点が難しいのかを目の当たりにしている今日この頃です。

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